2017年8月19日(土)

こんばんわ( ̄▽ ̄)

今日は、8月19日

バイクの日です。


ボイジャーくんのメンテをしないといけないんですけろね#59143;


先週の11日から毎日のように実家に行って疲れてしまって

今日は、自宅でのんびりしています。


実は、初盆でお世話になった方々に挨拶回りをしていて

入手したものがあります。


それは、古い貴重な写真で

じっちゃんの家(僕が産まれた家)が写っています。


この写真は、終戦直後(昭和20年)

米軍が撮影した航空写真で

僕が産まれる13年前の写真なんです。





僕が産まれた頃には、「PW」外国人俘虜収容所は無く

じっちゃんの水田に戻っていました。


昭和40年代になって

水田の場所にバイパスが通ったので

水田を宅地にして

父が家を建てて住んでいました。


「PW」のことを母に聞くと

覚えていない

そのころは、「近付くな!」とだけ言われていたそうです。





昭和22年

米軍将校が撮影した写真で

占領軍が群居していた兵舎の様子です。




これは、昭和30年

占領軍が群居していた上の写真(昭和22年)と比べると


田畑へ回復しているのが分かります。




昭和33年

僕が産まれた頃の写真です。

いちばん右に

大好きなじぃちゃんが写っています。




風景の写真を

現在の写真と比べて見たいと思います。


昭和30年




現在

グーグルマップで

上の写真と同じ視線にしてみました。




山だったところに

ビッシリ家が建っています。

どんだけ人口が増えてるんだろ#59143;



昭和20年の実家付近




山が消えてる#59143;




GIFで重ねてみます。




戦争を経験し

苦労して僕らの住む町を復興してきた人々

この勇者たちを忘れてはいけません。



古い貴重な写真を見せてもらって

あらためて実感しました。



父の戦時中の話は、

子どもの頃に少し聞いただけでした。

あまり昔を語る父ではありませんでした。




母にお願いしました。


この写真を見て思い出したこと

覚えているだけで良いからメモしといてって・・・



原子爆弾が投下されたとき

うちは、投下された場所から南に6~7キロ離れていたことと

星取山に守られていたことで

大きな被害はありませんでした。




戦争の記憶

原子爆弾の記憶

決して風化させてはいけない


強くそう思いました。



母は、87歳

10代の母の記憶

思い出してほしい



聞くことが出来たら


記事に残したいと思います。





戦争から復興させた勇者達に感動しているてんてんに

ポチッ#59142;としてにゃ